スローガン
社長あいさつ
(プロフィール)
昭和56年慶応大学卒業後東京海上火災保険㈱(現:東京海上日動火災㈱)へ入社
昭和62年同社を退職し地元に戻り、家業の坂口合名会社へ入社する
平成12年代表社員社長に就任、平成19年には米子商工会議所会頭就任し、今に至ります
学生時代は剣道に邁進し、現在は囲碁も楽しんでいます。
(社長挨拶)
この令和2年9月10日に 弊社は大正9年の会社設立から100年を迎えることができました。
弊社の源流は260余年前の江戸時代に遡り江戸中期宝暦年間に米子で始めた木綿商がスタートです。
そしてこの長きに亘る会社の存続は、いつの時代も社員の懸命な努力の結果です。
そして今も尚 様々な縁で多くの企業や人との繋がりが続いている事が かけがえのない財産となっています。
今後も社員とともに 地元から必要とされる会社であり続ける事を使命とし、チャレンジを恐れず努力していこうと思っています。
会社概要
会社名 | 坂口合名会社 |
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所 在 地 | 本 店:鳥取県米子市尾高町66番地 博労町事務所:鳥取県米子市博労町3丁目183 |
設 立 | 大正 9年 9月 |
資 本 金 | 2,625万円 |
代 表 者 | 代表社員社長 坂口平兵衞 |
関連会社 | 沢屋不動産(有) (有)サングリーン (株)サウンド・シティ |
本店へのアクセス
事務所へのアクセス
沿革
1920 | 坂口平兵衞本店の資産負債並びに一切の営業を譲受 出資金 2,000,000円で設立 目的 土地建物の経営、育林 |
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1923 | 出資金を3,500,000円に増資 |
1946 | 株式会社カギサ食糧工業所(資本金 500,000円)を買収し、醤油味噌の製造販売を経営 |
1946 | 西伯郡所子村に大山口製材工場設置、製材業開始 |
1948 | 日野郡江尾町の元日野木材株式会社経営の製材工場を買収経営 |
1957 | 資本金 5,000,000円全額出資にて島根県平田市に工場をもつ 平田撚糸株式会社を設立 |
1960 | 再評価積立金(84,000,000円を繰り入れて出資金を87,500,000円に増加、同月77,000,000円を減少) 出資金を10,500,000円とする |
1960 | 江尾、大山口両製材工場分離、同年4月資本金3,000,000円にて坂口木材株式会社を設立 同社に江尾、大山口工場の資産負債並びに営業一切を譲渡 |
1960 | 米子市久米町に打放しゴルフ練習場飯山カンツリーをオープン |
1961 | 出資金 26,250,000円に増資 |
1969 | 株式会社ワイエスピーよりスケートプール設備を含む資産負債一切を引継ぐ スケートプール部として営業を開始 |
1970 | 米子YSPボウルを新設オープン (米子市博労町3丁目) |
1971 | 境港YSPボウルを新設オープン (境港市馬場崎町) |
1971 | 松江YSPボウルを新設オープン (松江市黒田町) |
1973 | YSP安倍山パークコース新設オープン (米子市安倍) 9ホールミニゴルフ場 |
1978 | 住吉ハイツ 開設 (米子市旗ケ崎) |
1978 | 境港YSPボウル 閉鎖 |
1979 | 松江YSPボウル 閉鎖 |
1979 | 西町コーポ 開設 (米子市西町) |
1981 | 聖テレジア 開設 (東京都港区西麻布) |
1982 | 沢屋コーポ 開設 (米子市尾高町) 平田撚糸株式会社 閉鎖 |
1983 | 坂口木材株式会社 解散 |
1991 | ㈲サングリーン 設立 |
2003 | 飯山カンツリー 閉鎖 |
2004 | 安倍山パークコース 閉鎖 |
2009 | 醸造部 閉鎖 事業と従業員は㈱北國へ譲渡 |
2010 | ㈱サウンド・シティ 代表取締役社長に平兵衞(旧:清太郎)社長就任 財団法人 坂口奨学館 解散 |
2011 | 本社事務所 尾高町から博労町へ移転 尾高町は本店、管理部として、事業部門が分離 |
2012 | 再生可能エネルギー事業参入 J-VERプロジェクト登録 安倍山パークコース跡地をSC鳥取へ賃貸 YAJINスタジアム完成 |
2013 | 彦名太陽光発電事業 売電開始 |
2014 | 安倍太陽光発電事業 売電開始 |
2020 | 坂口合名会社 創立100周年となる |
2021 | 襲名により社長名が坂口清太郎から坂口平兵衞へ変更 |